常識の斜め横にある私の思考 こぴぺ 編
技術が発達して便利な世の中に成りました。
しかし、便利さと楽の境界というか、これまでの何か大切なものが無くなったように感じています。
今ではネット環境が充実して、自分のパソコンに保存も出来るので、著作権クレジットが入っていようがフリー素材の様に、情報が無料で手に入り手軽に使っているようです。 しかし、新しい文化「コピ&ペースト」は、使い方を間違えると、発信者のモラルの退化と自己主張の存在意義が無くなります。
一昔前は、校閲をするために図書館へ行ったり専門家に問い合わせたりと大変でした。 やはり、形のある文献は残るので責任がありました。
標記の話と変わりますが、いい加減な情報で重大な害悪を発生させたのが、慰安婦問題です。善意で譲歩したにせよ、地球上に客観的資料が存在せず、たった16人の自称慰安婦の裏付けの無い証言で河野談話が発表されました。しかし、全世界に間違った情報が伝わり、日本人の尊厳だけでなく実質的な被害もあるようです。 政府は無い事実を検証すると言っていますが、それは不可能です。
私も有りもしない電子投票への言い掛かりを12年間かけて実施や実態を持って全てを証明しましたが、未だに『悪魔の証明』は払拭できません。
先ずは、日本の利益衡量的報道から脱却して、他国に信頼される発信が必要ではないでしょうか。
最後に、ネットが普及して、オリジナル性に欠ける情報に拍車が掛かっている事が恐ろしく思います。自分の考えを持たない「空気を読む」民族は、一部の空気の発信元に哀れに操られて大事なものを失うでしょう。
リテラシーを持ってほしい。
追伸
LINEなどもタイムラインのコメントが消せるように成りました。
新しい文化は、“気軽に発信して消せる”ですね。
残るものは、感情と相手に与えた損害です。