常識の斜め横にある私の思考 育てる 編
しつけ、教育、どれも弱者への押し付けと同時に頭で考えさせるだけで、大事な心が抜けている。だから不祥事のときに使われる「倫理」も、装飾的な言葉でリアリティーが感じられない。
何か有ると「今時の若者は…」と言われていますが、生を受けてからどの時点で悪い子に成るのかを二十代の頃に仮説を立てた事がありました。
先ずは、父親に対して「臭い、汚い」など悪タレをつくのは、子供の近くにいる父親否定論者の存在ではないのか。また、街で赤ん坊に「お父さんとお母さん、どっちが好き」みたいな事を見かけますが、動物的本能で上下関係や派閥を作らせる原因ではないかなど、全ては育てる側に正しく共存、共生をしていく自覚が無いからだと感じていました。
旺盛な探究心が仮説の反対の検証を結婚した時に決断させました。
一つは、妻を否定する事は、どんな時でも誰に対しても言わず、自分の考えや要求は「好み」として伝えるように心掛けました。
二つ目は、挨拶など基本的コミュニケーションを大事にしました。
その結果、動物は環境に順応するもので、人を敬い大事にする子に育ち我が家は平和です。
直接、対象者に押し付けると矛盾を感じますが、環境から自分で吸収すると素直に学んでいるように思います。
環境とは、一部を変えても本質的な変化は無く、例え全体で取り組んでも即効性は有りません。しかし、時間が掛かった分、確りと基礎として根付くと思います。
次は、民意が正確に反映をした時の社会環境を味わいたいですね。
追伸
先月、妻から「カレーとシチューのどっちが食べたい?」と尋ねられたので、「カレーが食べたいけど、君の好きな方でいいよ」と答えたらシチューを出されて「エッ!」。
妻は「私がカレー嫌いなの知らなかったでしょー」と笑顔で言っていたけど、四半世紀以上も一緒に居て気付かなかった。
検証の中間報告ですが、理想の環境作りには、パートナーの底知れぬ内助の功が支えてくれていました。
(o^^o)