近代化した民主主義へ

選挙、電子投票などについてを語り、政治の幼稚さをぼやきます。(笑)

「空気を読む」ことは正しいのか?

 我が国では「空気を読む」ことが美徳のように扱われている。そして、私は「空気が読めない奴!」と思われながらも先月で51歳を迎えました。(笑)
 べつに「読めない」のではなく、場の状況を敏感に察していますが、確認もせずに読む(合わせる)事をしないだけです。
( •̀ㅂ•́)و

 人の気持ちを汲み取り察する「繊細な心遣い」のデリカシーと 、大きな流れを察して長い物に巻かれろ的な「空気を読む」は全く違います。
(。ì _ í。)

 たとえば、ヤクザ社会のように親分の意を汲んで殺しに行く鉄砲玉と変わらず、学校で起こる子供のいじめにしても、みんなで協議をするなんてことはやらない。つまり、誰か(例えば政治家)が暗示的な言葉や振る舞いで雰囲気を作り、誰か(例えばマスメディア)が流れを作る、そして、一つ一つは小さくても「皆と同じ」 という釣り合いのとれた「和」とは異なった無責任な感覚が集まり世論という大きな力となって正しいと錯覚している感じを受けます。
 本当に優しさから周りの人のことを考える「雰囲気を察する」なら間違った結果にはならないのですが、場に飲まれて冷静な判断を怠った「空気を読む」だと、腹芸の上手な人に利用されるだけ。
( ・᷄д・᷅ )

 また、読み違える大きな原因は、日本人は多数意見が民主主義だと誤解していること。民主主義の原理に「少数意見の尊重」があり、「多数決」と「少数意見の尊重」のどちらも重要です。
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 私が政治の世界で一番最初に感じたのが腹芸(暗示性)でした。その観点では、今回の首相の戦後70年談話も日本語的には、総理の想いを最大限表現できた素晴らしいものと思います。
 しかしながら、海外でビミョ〜な反応なのは、明確性を重んじる外国人と「空気を読む」暗示性を好む日本人の違いでしょう。
 世界への発信を考慮するなら、もう三歩ほど、はっきりと踏み込んだ内容でも良かったと思います。
 そして、国民は、空気を読むよりも先を読んだ方が懸命だと思う。

 日本の政治は相変わらず空気に支配されているから選挙改革が進まない。諸外国でネット投票まで進んでいる電子投票が我が国で進まないのは、技術力ではなく、国会議員が民主主義を理解しようとしないからだろう。本当の日本最大の政治課題は、経済よりも民主主義の根本である選挙を変えられないことです。そして、国会議員が自ら変えようとしないのは、「この程度の国民にはこの程度の政治」が定着しているからでしょう。

 責任の所在が不明確な「空気を読む」は、ずるい奴を跋扈させる間違った風習ではないでしょうか。