近代化した民主主義へ

選挙、電子投票などについてを語り、政治の幼稚さをぼやきます。(笑)

【世論調査3】 分析について

 前回の世論調査の続きで、分析について体験談を書きます。

 1991年の東京都知事選挙は、現職の多選・高齢・箱物批判で新人を擁立した自民党本部と、現職についた東京都連の分裂選挙でした。自民党本部は、公明党民社党と相乗りで、分の悪い東京都連がクライアントで資金を握っている党本部が敵ですから、もちろん手付金を払うお金も無い。(笑)

 当時、独身時代に住んでいたマンションの最寄駅の近くに、羽振りの良いと有名な運送会社が有ったので軍資金を借りに行ったら、社長さんが「成果物として調査結果を渡してくれたらお金は返さないで良い。貴方のところに迷惑が掛かるから分析は要らない」と言って頂き、そして、正々堂々と自分は自民党幹事長の友人で彼に渡す事も伝えてくれました。
 私の身を案じて良い話を頂きましたが、私は「調査結果の数字は渡します。知恵比べですね」と借りる金額に借りている期間の金利を上乗せした小切手を渡し、現金を紙袋に入れて持ち帰りました。
 しかし、帰宅途中にチョッと後悔したのは、振込みにしてもらわなかったこと。前都知事が黒いカバンに詰め込んだ重さと同じです。(笑)

 世間では天下の大悪人とレッテルを貼っていましたが、完全なる善や悪の稚拙な分類をした考えは私には無いので、お会いして正しい分析ができれば活路が見えてきます。確りと向き合いもせずに、言葉と先入観に惑わされると真実が見えなくなり未来が狭まります。調査結果の数字を渡す事に、ボスからは一言「馬鹿!」と言われただけで自由に行動させて頂きました。でも、内部ではすこぶる活気が出て大いに盛り上がった記憶があります。

 サンプル数は、当時の衆議院選挙区単位で動向がわかる数の合計です。
そして調査自体をシステム化していたので、選挙中の短い期間で三度の調査、追跡調査を実施して、全てのカテゴリーのクロス集計を渡しました。追跡調査は、指向の変化を見るために同じ方に答えてもらう本当の追跡です。
 同じ数字を見ても勝つだけの視点と民の声を聞く視点では、見方が違う事が大きな分かれ目でした。

 最後の調査結果を渡した直後に、社長さんから会いたいと連絡を受け、アポイントの電話を会社にしても「不在です」と帰る予定も言わないので、直接、会社へ行って社長室に入ろうとしたら、社員の方達の顔が引きつっていたのを感じました。社長さんにその事を伝えると顔から血の気が引くのがわかりました。

 それでも、友人の幹事長の将来を潰さない手立てがないのか私に尋ね、私の思いつく案を述べさせて頂き、その通りの動きをニュースでしりました。
当時の幹事長とは、それから20年後の民主党政権のときにお見かけしたので、はじめて名前を名乗ってご挨拶をしたら「あなたが~」と懐かしそうに笑っていた。
 10万票差で勝てればと言われた選挙は、予想を上回る大勝で終わりました。
選挙直後に社長さんは逮捕され、お金を借りていた名前のリストが写真週刊誌に掲載され、うちの名前も有りましたが、政治関係者の中で唯一返済をしていたので問題にされませんでした。
 反対にお金を借りていた政治関係者が、私と同じように接すれば、社長さんは罪に問われる事は無かったとも言える。そんな状況だから敵でもある当時20代の若造の私に、最後の方向性を尋ねたかったのだと思います。
 決めつけた言葉に惑わされる事が有りますが、悪い環境と思われる中でも、確りとした見極めと自分が泥の中に咲く蓮の花のように立ち振る舞いをすれば悪い環境ではありません。
 また、その中で新たな発見や改善があるかも知れません。
 しかし、大雑把な見方で、何か恩恵を授かろうとか利用しようと歪むから佐川急便事件となったと思います。
 しかし、今の美辞麗句を並べて様子見に走る正義の味方よりも、悪人と言われながら命懸けで真剣に理想と信念を貫いた人たちから学べた古き良き時代でした。
また、この選挙後から世論調査が選挙で活発に行われるようになり、選挙の近代化に貢献できたと思います。

 追伸
 その後、うちのボスは公約が守られていないと都知事に三度も進言をしたからなのか分かりませんが、都知事が病気になりました。でも、このようなアフターサービスもこの仕事には必要だと思っています。選挙戦略とは戦う土俵を作ることですが、土俵とは汚してはならない神聖なもの。汚れた土俵で戦っても、人々から有り難みが有るとは思えません。