近代化した民主主義へ

選挙、電子投票などについてを語り、政治の幼稚さをぼやきます。(笑)

「日本死ね」について

大きな社会問題になっている待機児童ですが、20年前の我々の子育て時代よりも、子供が増えたり保育園が減ったりしたようには思えないのに、なぜ過熱するのか不思議です。

当時も保育園の順番待ちや別の地域で探して通うなど、子育て時代の友人も愚痴なども無く、明るく順応していたように思えます。
先日も民主党が保育園に落ちたぐらいで祖国に死ねと究極の排除を言う、独善的で協調性の無いブログを取り上げて話題になりましたが、もし身近で自分の思い通りにならない事で「死ね!」という言葉が浮かぶ人が居たら恐ろしいとは思わないのだろうか。

電子投票では、長い年月を掛けて公党同士が話し合い、合意した上で提出をした改正法案を、民主党議員の理不尽なパフォーマンスで廃案にされ、それから10年近くも中途半端な法律で負担を強いられながらも「民主党死ね!」なんて言う人はいません。
個人的に私だけが矛盾や間違いを正していますが、排除ではありません。

以前にも審議内容は書いたので書きませんが、地方選挙は認めて国政選挙は認められないという理解のできない偏見で排除され続けていますが、議論が進展した話は聞こえてきません。
それに、ブログの筆者と一緒の保育園に、子供を預ける勇気があるのかと聞かれたら、選択できるのなら無いと思う。
もし、このブログの筆者と保育園で一緒だったら、分け隔てなく接する人でも、気を遣うでしょう。
また、親御さんのように、お子さんも自分の子供に向かって「死ね!」なんて言われて心に傷を付けられる危険性も考えれます。
そんな人が、会社を辞めないといけないのも、いい口実にされている可能性も感じます。
きっと、民主党はブログの筆者と共感する体質だから嫌われているのでしょう。
せっかく民進党に生まれ変わったのなら「死ね!」なんて書ける精神状態になる環境を、深く考えるべきだと思います。

先日も妻と散歩をしていたら、公園でママさん達が花見で宴会をしていましたが、小さなお子さんがグズって泣いているのに「うるさい! 静かにしなさい!」と怒っているのを見て、子供からすれば、つまらないのと寂しいから相手をして欲しく泣いているのに、理解もできない相手に大人の都合で一方的に怒ったら、子供は「嫌い」という感情と、短絡的に自分を押し付ける事を覚える悪循環を感じました。

ウチの息子(犬)も言葉は理解しませんが、人に問いかける様に話していると、怒っているのか、困って居るのか、嬉しのかを感じている様で、それなりに学んでくれます。
それに、数分だけでもかまってストレスを発散させると落ち着きます。
なんだか、現代には感情を大切に育てられる環境が無いのかも知れません。

女性が働く環境も大切だと思いますが、親も育児を通して貴重な体験から学べる機会でもあります。
休職中に生活レベルが下がる事も有りますが、無垢な子供と一緒に居られる穏やかな時間と社会復帰が保障される、そんな環境が話し合われる事が保育園を増やすよりも必要な感じがします。
いろいろと偉そうに語りましたが、私も妻から育児放棄のお叱りを受けるぐらいの少ない時間の中で、家族から学びました。

追伸
ナポレオンが「子供が資本」と言いましたが、その国家資本の質を高める事を模索すれば「共生」という視点で考えられるようになり、ネットに憂さ晴らしで書き込んだブログを国会議員が取り上げる事も無く、そして、カップヌードルのCMに抗議をしたり、ネットで炎上させて喜ぶバッシング文化とは違った、穏やかな未来を期待しています。

愛情を感じる大事な時を逃した人は、人を大切にする感情も術も不器用になるのも分かるような気がします。
だから、匿名のネット社会で、上辺だけの話題に便乗する「他力本願」と、雰囲気に流される「無自覚」さが、荒んだ社会を宣伝し、蝕んでいる感じがします。

 

今回は、世代間格差を感じながら少し意地悪な感じで書きました。ご気分を悪くされた方は、申し訳ございません。