近代化した民主主義へ

選挙、電子投票などについてを語り、政治の幼稚さをぼやきます。(笑)

知識とは覚えるもので、知恵とは心から生み出されるもの(2)

 私の物心が芽生えた頃には、国内外の教授や先生と呼ばれる人が遊びに来られる家でした。
 その中でも、日本の学者の渡米などに尽力して学問の向上に貢献をしたコロンビア大学ハーバート・パッシン名誉教授とは、実家の別荘で本の執筆をするなど親父殿とは仲が良かった。おふくろさんお手製の高さの低い小さな枕を使ったパッシン教授が、「こんなに熟睡できる枕と出会った事が無い」と、古くて薄汚れた状態でしたが本国に持ち帰り、「頭の良い人はわかるんだよ!」と、おふくろさんの数ある自慢話の一つになっています。
 当時は安心して眠るということわざで『枕を高くして寝る』が身体に良いと思われていた40年前に、家族への愛情から生まれた発明のようなもので、前回投稿で申し上げた知恵は心から生まれるという良い例だと思います。
 
 そんな環境で育った感覚で、自分がエリートだとか、頭が良いと勘違いをした人たちの共通点を申し上げると、無理な受験勉強のやり過ぎによる後遺症なのか、入試のマークシート方式のように答えは一つだと思い込んで、正しいと言われているものだけしか見えていないように感じます。
 だからネットでも、間違った事を正しいような書き方をすれば、瞬間風速で拡散されて間違った世論ができる危険な現象が起こるのでしょう。

 心を詳細に説明すると、部首が「りっしんべん」の漢字に、愛情の「情」、理性の「性」、注意の「意」があります。
「情」は思いやりの心で接すれば正しい情報が得られ「性」は正確な判断力、「意」は勇気と責任感だそうです。
そして、それらが調和して知恵(新たなビジョン)が生まれると僧侶の先輩から教わりました。

 情報を検証して精度を高めるのも、そのまま鵜呑みにするのも「心」次第という訳ですが、その違いが未来への行く先を大きく変えるターニングポイントになります。
 検証能力が問われる政治家や学者、そしてマスメディアの方々に、こっそり教えたい話です。

 知識を覚えることも大切ですが覚えたからと言って、それほど偉いものでは有りません。
 若い頃に殆んど事前準備もせずに僧侶の修行で隔離された世界に飛び込んだ私ですが、お経や所作など寺院の子よりも覚えることが多い上に、何よりも机に向かって覚えることが嫌いな性格的ハンディを背負っていたので大変でした。(笑)
 そこで、その場で覚える事を思いついたのが良かったようで、覚えが良いと評価も高く「できる奴」と間違われたのか、翌年には少数精鋭の指導する側に選ばれました。そして、人を育成した経験から、得た知識への理解と使い方の大切さを学びました。

 私は知識や言葉も含めて、人間が使うもの総てを「道具」に分類にしています。
 例を挙げれば、民主党議員が同じ体質だから共感したのか、公党同士の同意で提出した電子投票法の廃案の引き金になった学者の電子投票検証論文で、「国民」や「民主主義」と言った言葉を使っていますが、内容は自らの新しい発想は無く、思い込みによる現状の否定で、国民(自分も)、民主主義(参加させろ)というメッセージにしか見えません。

 選挙の時に政治家が使う言葉でも、道具という視点で見ると政治家の本音が見えてきます。例えば、とある国の政権を担おうと目指している政党の代表が、自分の地元の候補者が負けたら次の党の代表選挙には出ないともっともらしく言って地元に張り付いていましたが、正しい言葉に置き換えると「代表の立場を使ってでも自分の地盤を守る」となります。それでも野党統一候補という政策とは関係の無い底上げでなんとか勝ちましたが、地元の候補者一人に固執するよりも、党の代表として激戦区に力を注いでいたなら目標に掲げた3分の2が阻止できたでしょう。
 自らの頼りなさで劣勢を演出し、与党圧勝の最大の功労者になりました。

 当たり前の話ですが、自分の事しか考えない人の知恵を悪知恵と言います。

 さらに申し上げれば、与党を否定するよりも、時代変革に対応できるビジョンを掲げれば情勢は逆転したと思います。批判の受け皿だけでしのごうとした安易なやり方は、国民を愚弄しています。
 憲法改正が悪いのでは無く、同盟国が戦争に踏み切ったとしても人の命に関わることですから、正しい情報を得る仕組みや決断に至るプロセスの確立、そして、同盟国に断ることができる環境を整えるなど、政権を担う政党としての風格を国民は望んでいたのではないでしょうか。
 この野党の稚拙な選挙戦略により、圧勝した与党のたがが緩むのが心配です。

 手前味噌になりますが、私もコンペチターからの質問や相談に答えていたので、組織内部では歩くオープンソースと揶揄もされました。
 新しい文化を創る大きな視点では、コンペチターも仲間です。それに、優位性に慢心すると進歩が遅れ、ミスなどの失態も犯すでしょう。圧勝も半歩の差でも同じ勝ちですから、内部の引き締めに良きライバルを作るのも、電子投票文化を成熟させる為に大切だと思います。それに、競争による人を魅了した期待感が普及を加速させるでしょう。

 だいぶ話が脱線しましたが、我々を含めて政府の認証検査を受けた企業が前出の学者に取り合わなかったのは、認証検査を受けた直後で、総務省が検査結果の説明窓口でしたが、学者が確認を避けてまで同じ事を行うメリットは、企業側に無かったからです。
 別に排他的な行為ではなく、認証検査と重ならない部分で検証するメリットが有れば受けたと思いますが、どのような検査をするのか期間も概要も分からず、大学の教授という権威を振りかざして「専門家だから見せろ」と言った態度では、相手にされる筈も無いでしょう。
 
 我々の場合は組合ですから各担当企業にお願いするので、検証期間によっては説明、立会いなどの人件費の負担が発生するのと、ノウハウをタダで教える慈善団体でもありません。たとえNDA(秘密保持契約)を結ぶと言われても、投開票という重要な部分を扱っているのでセキュリティ的に信頼ができる相手なのかを見定めをする責任があります。
 コンペチターだった企業でもメリットが有れば、信頼関係を保てる手続きをしてソースなどを渡して協力をお願いしていました。営利企業ですから当たり前ですね。
 
 また、選挙無効や選挙訴訟になった原因も理解しないで闇雲に製品化されたハードやソフトを追加するだけのセールスマン的な考え方は、事態を複雑にするだけの国民が検証できないものになるので、投開票結果の信頼性が失われるでしょう。

 次回は、学者や専門家たちが「陳腐」と馬鹿にした「電子投票システムに関する技術的条件及び解説」(基準書)を、ただ読んだだけだから気付かない落とし穴について説明をします。

《8月19日投稿のFacebookと同文》